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えのでん

毎日のこと、ちょっといつもと違うこと

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2011年を振り返る~11月12月~

あと一時間弱で終わってしまいます。急いで書かないといけません。

今年を振り返ります。
11月。
ワンピースを1巻から読み始めました。
漫画を読んでこんなに泣いたことはないんじゃないでしょうか。未だ読み終わっていませんが、今のところエニエスロビーの戦いの辺りが、最大に感極まりました。おかげ様で1曲できたので、早速バンドで合わせたら、あれよあれよという間に出来上がりました。

久々にライブをしました。来年のレコーディングの予定も、ようやく決める段階に入りました。1年遅れですが、2012年は動けそうです。


12月。バイト先が荒れ始めました。急にばっくれたバイトや社員の煽りを受け、人手は不足し、生活が少々乱れましたが、なんとか乗り越え、調子を取り戻しました。

しかしながら、12月の私にとっての大きな出来事は、やはりsmash funny stoneの解散と、某友人に子供が生まれたことです。smashの解散にはほんとに驚かされ、やりきれない気持ちでいっぱいでした。

某友人の子供を生まれて僅か1週間で見せてもらいました。手や足が、想像してたよりもずっと小さくて、でも存在感が満ち溢れ、澄んだ気分になりました。

年末はバイトばっかり、そして最後にドドンとライブをやって、例の新曲もやれたので、ほっとした心持ちで昨日帰省しました。

今日は父と新潟交通の電車の廃線跡めぐりをしたり、妹とおせちを作ったりしました。
それではまた来年。
今年もおせわになりました。

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2011年を振り返る~9月10月~

もう12月30日になってしまいました。
昨日、一昨日とPlat Home Nineはライブでした。
両日とも新曲をやり、今年はなんとか納まりました。

今年1年振り返って参ります。
今回は9月10月編です。
9月。
幼稚園のころからの幼馴染の友人の結婚式でまた新潟へ。

結婚式というもの自体に、些か抵抗があるのですが、そんな私もついに人生初となるスピーチを行うことになりました。
その子とは小学校も中学校もずっと一緒で、今思い出すと恥ずかしい思い出や、今の自分に感性を作った経緯なども振り返ることができました。

私の前にスピーチした、会社代表だかなんだかのおじさんが、手が震えてアル中の人みたいになっていて「もう頭が真っ白でぇぇぇ。」と自白してしまったくらいの緊張っぷりでした。
それを見て、やべーと思い食も進まぬ中、なんとかしゃべりました。


久々に会った友人が、随分と印象も変わっていて、過ぎ去った年月の長さを思い知る機会となりました。

あと28歳になりました。28歳て。。と思いながらも、特に何も変わっていませんな。

バンドはというと、ベース外山君が入ってライブがスタートしました。
下北沢ERAでのthe hills企画で、東京に居ながら地元の人にたくさん会えて何だか不思議な感じがしました。

新曲はアレンジしてもしてもうまくいかない穴にはまってしまい、あまり進まず。。

10月。久々にライブを1ヶ月休みました。
しかしライブがないと、なかなかハリがでないもんですね。本当はそうじゃいけないんだけど。

smash funny stoneのすえきさんと、メンバーでPEARL JAMの映画を六本木ヒルズに見に行ったのが楽しかったなぁ。

あとは、今年1年解散や活動休止のニュースがとても多かったように感じますが、特にこの時期にそういう話題をたくさん聞いた気がします。

進みたいけど、続けたい。そういうことをよく思っていました。

次回、ああ明日で2011年はもう終わりですね。
明日は11月12月について。

2011年を振り返る〜7月8月〜

もういくつ寝るとお正月ですねー。
1年で1番好きな日は?と聞かれたら「正月です」と答えたいくらい正月好きです。

ということで2011年に別れを告げるべく今年を振り返っておりますが、今回は夏です。

7月。
今の部屋に引っ越して初めての夏でした。うちはビルの3階なのですが、天井に窓があり、そこから灼熱の日差しが入り込み、じゃがいもも、タマネギも、食パンも腐りかけて大変でした。


外山君が参加して5ヶ月経つので、そろそろライブを1回してみよう。ということになった矢先、ライブまで1週間という時期に、なんと驚くことに私を筆頭にメンバー全員風邪をひく事態に見舞われ、私はまたしても声が全くでない始末。医者に行ったら気管支炎と言われ沈黙の暑苦しい日々でした。
ライブ当日は全員で浅田飴を舐めて本番に臨み、散々な結果に終わりました。
まぁ、最初から上手くなんていくほど甘くはないですねぇ。


旅もしました。東北を応援しよう。というコンセプトの1日10000円で新幹線が乗り放題という切符が発売されたので、それを使って宮城県の松島へ行ってきました。松島は小さい頃に家族で行ったことがありました。震災の影響は他の海岸沿いの場所よりは少なかったとは聞いていたけれど、やっぱりギリギリの状態で営業しているように感じました。営業しているお店もまばらでしたし、石垣が崩れていたり、石碑のようなものの倒れたりしていました。
海が青くて穏やかでしたが、この日も数時間前に、震度4くらいの地震があり津波注意報がでていたのでした。
私はただ観光して帰ってきました。

とても松島の島々が綺麗でウミネコが元気に飛び交っていました。

いつも通りの生活を取り戻したのは自分や自分の周りだけで、それは大切なことだけど、まだまだ何も終わってないんだと思い出した感覚の自分に戸惑ってしまったのでした。

8月。PH9はライブがいっぱいありました。えの、小原、なかじの3人での演奏は8月で最後になりました。

8月の終わり、地元の新潟へ帰省して翌日の朝、母方のおばあちゃんが亡くなりました。あまりにも急でした。前日の夜、丁度お母さんと、おばあちゃんのお見舞いに行きたいね。という話をしていたので、ちょっと信じられなくて気持ちが整理できませんでした。病院に着いたときにはもう間に合いませんでした。おばあちゃんは面影もなく別人のように痩せ細って小さくなっていました。
たまたま帰省した日にこんなことが起こるなんて夢にも思わないでしょう。

おばあちゃんと一緒によく行った山を歩きました。
何も変わらない景色と、大人になった自分しか居ませんでした。
蝉の声が大きく鳴いて子供の頃に戻ったような気持ちでした。

次回は残暑の9月、まだまだ暖かい10月。













2011年を振り返る〜5月6月〜

うかうかしていたら、あっという間に12月中旬を過ぎてしまいました!

急ぎ足で振り返ります。

5月。
一言で言えば、「ドーナツ作りに明け暮れる」といった日々でありました。
5月18日に開催した、PH9ドラムなかじ企画「アンダーカレント」にてドーナツを販売することになり、試作に試作を重ね、ひたすらドーナツ制作に励んでおりました。
しかし結局、味に自信が持てず土壇場で太っ腹になり、タダで配ってしまいました。

でも、みんなおいしそうに食べてくれたので、大満足でした。


普段の生活はというと、この頃からちょっと乱れ始めましたね。
長年続けてきた飲食店のバイトで、少々不景気の煽りを受けまして、労働時間を削減され始めたのがこの時期でございます。

結構本気で仕事を探そうとしましたが、なかなか上手いようには見つからず、今に至ります。

そろそろ夏に近づいてきました。6月です。
6月はというとPH9にしてはライブラッシュでしたねー。
私個人的にも、弾き語りを再開しました。
柏にて偶然の産物さんの企画に出させてもらったのをよく覚えています。
スタジオライブだったのだけど、そこがやたら雰囲気の良いスタジオで居心地が良かったのです。redd templeがめちゃくちゃかっこよかったな。

というか、この時期何を考えていたのかいまいち思い出せないのが本当のとこです。
一言づつ手帳に書いてた日記もぱったりと止まってました。
うー。日々ちょっと煮詰まってたかもしれませんね。

次回は夏本番。

2011年を振り返る〜3月4月〜

さてさて今年1年を振り返る第二弾です。

3月。Switch Back vol.3をまもなくに控え、準備も最終段階。お客さん来てくれるかなーという心配や、配布用のオマケの完成に胸を高め、緊張感のある毎日を送っていた。
そんな中、突如風邪をひいてしまって声が出なかったのは3月10日。二日後のANDA企画直前に大変な事になっちまっったーー!と焦りながら過ごした翌日、ランチタイムのバイトをしていた、あの3月11日の午後の瞬間。

地震。

お?あれ?結構揺れてるな?お?結構やばいかもな。と思った直後、「お客さん外に出して!みんなも外出た方がいいかも。」と店長の指示。あの時、私が数年感嫌悪感を抱いていた店長が、とても頼もしく見えたのを覚えている。フライヤーの油が波打って溢れ、お皿がガタガタと今にも落ちてきそうになった。めまいのような足下、怖かった。

それから数日間。

信じられないという言葉では表せない、想像できる苦しみや悲しみを、とうに越えて、ある意味無感覚といったような、不気味な恐怖感の感覚の中、生活は行われた。

気づけばイベントまで1週間、ライブハウスはどこも営業停止状態。イベント自体果たしてやるべきか以前にやってもいいのか?という疑問の中、ただみんな「自分のできることを」という一心で沢山の人が、いろんなことを口にしたし、行動した人もいた。私は正直、音楽に非力さしか感じなかった。だって、生死に関わることじゃない。バイトに行って、計画停電やいろんなものが品薄になったりしている中でも動いている人たちに、飯を提供する、こんなことの方が余程役に立つと思った。


しかしこの数年もの間、自分が一番大事にしていたものはバンドで、そのバンドにとって欠くことのできない大事な1日が間近に迫っている。それをほっといて、やるべきことなんてないじゃないか。という思考を信じて、3月20日Switch Back vol.3は無事開催された。

たくさんの思いが詰まった1日だった。忘れることのできない大切な1日だ。


その後、徐々に生活は”いつも通り”になりつつあったが、あの不気味な恐怖感は根底に流れていた。


4月。春はいつも通りにきた。
家族に会いたくなったので、桜の咲く時期に地元の新潟へ帰省し、両親と弥彦の山へ花見に行ったりした。


沢山の人が亡くなった。
事実だ。
私はそれを悲しくて、恐ろしいとおもった。
ただし、実感が伴わない。



全部ある。
家族もバンドも仕事も。
それも事実だ。
実感が伴う。
大事に思う。


そして春から初夏へ。



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